虚しく過ぐる人ぞなき(其の2)

(1月1日・其の1より続)
 仏さまに遇うとは、煩悩に振り回されながら過ぎていく私の日常に、仏さまの願が満ち満ちた日々が恵まれていくことであり、死に向かっている人生ではなく、お浄土へ向かっていく人生へと転換されていくことです。

 また、如来の本願は、ただの願いのみに終わらず、「南无阿弥陀佛」のお念仏となって私に至りとどき、私を念仏するものに育て上げるはたらきです。

 愚痴がこぼれるこの口から、南无阿弥陀佛という仏様のすぐれたお得があふれ出てくださいます。お念仏にであう人生は、決して虚しく終わらぬ人生であるとお示しくださいました。

 それは、忙しい、忙しいと終わる毎日が、おかげさま、おかげさまと手が合わさり、頭が下がっていくような姿へ転ぜられていくことでもありましょう。

 日々のおつとめや、ご法事、法要をご縁として、阿弥陀さまの願いの中に、私の人生の意味と方向を改めて見つめさせていただきます。

 先月の親鸞聖人の報恩講では、忙しい、あわただしい日々の中で、ごゆっくりご一緒に阿弥陀さまの願いを聞かせていただきたく思うこととおつとめさせていただきました。