亀になった亀(其の2)

(4月1日・其の1より続)
 インドでは、日本と全く同じお話なのですが、「どうし てうさぎを起こしてあげなかったのか。決して亀のようなせこい人間になってはいけない」と教えているようです。

 小学校で長らく教鞭をとられていた僧侶、東井義雄先生は子どもたちに、「亀は亀になれました。みなさんも自分になってください」と教えられていたようです。
 亀は、自分とはどういう強さ、弱さがあり、どういうことが好きで、どう生きていくのかと、気が付いていたというのです。

 私たちは、自分の姿を何によって知らされるのか。
 親鸞聖人は阿弥陀さまの鏡に知らされるとお示しになられました。
 阿弥陀さまは私の姿を「まよいの凡夫である」とご覧になりました。

 怒り、腹立ち、そねみ、ねたみに心と体を悩ませ、右往左往している姿がこの私であります。
 時に、損得勘定、生産性で「いのち」を見、あれは好かん、これがよいと見ている私です。

 しかし同時に、「仏の子」として、どうか悲しみのいのちを生きるのではなく、喜びの中に生きてほしいと願いつづけられているのも私なのです。
 仏法の鏡を通して、私の姿を知らされると同時に、願われてあるかけがえのない私を知らされます。

「わたしになる」とは、もったいないことではありますが、仏さまになる身としてのいのちを生き、生かされることでありましょう。