荷負群生、為之重担(生きとし生けるものを背負い、それを重いとす)

 今年もお盆参りではお世話になりました。

 お盆参りの際、あるご家庭で「一本のネジ」というお話を伺いました。

 お寺では毎年「おみがき」という行事があります。ロウソクの煤や、煙で黒くなった仏具を、布などで磨いてきれいにしていただく作業です。

 作業の際、仏具のパーツを一つ一つバラバラにするのですが、無くしてはならないのは仏具の「ネジ」です。ところが、作業を終えてどこを探してもそのネジは見つかりません。
 もう途方に暮れて、ふと、ポケットに手を入れると、なんと中からネジが出て来たそう。無くしてはならないと、ポケットに入れていたのをすっかり忘れてました。と、笑いながら話してくださいました。

 ネジが軽くなく、20キロも、30キロも重たいものだったら、きっとポケットに入れていたことは忘れなかったことでしょう。
 いい眼鏡などは「かけていることを忘れるほど軽い眼鏡」などという売り文句もあります。軽いということは、忘れやすいということでしょう。

 お経には「阿弥陀さまは私たちのことを背負い、それを重いとする」と示されます。
 それは、私たちの抱える苦悩がそれほどに“重いものである”ということもあるでしょう。

 また、例えば子どもの重いと感じる荷物を大人が軽いと思って背負うのでなく、私たちの抱える苦悩の重さをそのままを“重い”と感じ受け取ってくださるということであり、悲しみや寂しさをそのまま悲しいね、寂しいねと受け取ってくださるということであります。

 そして何より、私たちを決して忘れることがないということをあらわされています。

 私がどんなに阿弥陀さまのこと、そして、自分自身のことを忘れてしまおうとも、「あなたのことを決して忘れない」と届いてくださる阿弥陀さまであります。