自然(じねん)のおはたらき (其の2)

(10月1日・其の1より続)
 親鸞聖人の御手紙には

 「阿弥陀仏の本願は、いつでも、どこでも、誰の上にもはたらき、そのようにあらしめることを自然法爾(じねんほうに)といいます。

 阿弥陀仏の本願は、我々凡夫のはからいではなく、南无阿弥陀佛と称えさせ、信順させて浄土に迎えようとおはたらきくださっているのですから、私が善行を励むとか悪業をしているなどと思いはからうことがないのが自然というのであると聞いています。
 阿弥陀仏の本願はすべてのものを無上仏(この上ないさとりを開かれたもの)にならせようとお誓いくださっています。
 すべては我々の思いはかることのできない如来の智慧のはたらきです」

(「御消息・自然法爾」趣意)

と教えてくださいました。

 如来さまの私をすくうはたらきを自然といわれ、こちらの側のはからいなどいらぬことである。
 お聴聞することも、おつとめさせていただくことも、お称名させていただくこともみな阿弥陀さまのお手回しであり、誰もが如来さまの恵みの中であると教えてくださるのです。

 私が、お参りし、お念仏を申していると思っていることが、実は阿弥陀さまのはたらきが私にとどいて、私を導いてくださっているすがたです。

 ナンマンダブツ、ここはいますよ、ともにいますよと喚んでいてくださいます。私の人生はいつでも、どこでも如来さまとご一緒であります。