―倶会一処― またお会いしましょう
昭和36年、大阪府八尾市の光蓮寺稲城選恵和上の仲人で、組内の西念寺様よりご縁をいただきました。
第十四世釋尚見住職も数年前に入寺しての慣れない処に、坊守として嫁いできた母。
「何にも無い中で始末して、始末して」と私も言われ続けてきましたから当時はほんとうに厳しい生活だったようです。
毎日休むことなく朝夕の鐘を撞き、掃除、炊事、洗濯、私が学校から帰ってくると天気の日は境内や墓地での草を取り、雨の日は裁縫をしている姿が今も残ります。
様々のお寺の行事も、昭和の頃の報恩講は、お客僧と法中方も泊まっていかれるので、準備から何から、寝る間もなかったと話してくれたことがありました。
また、父も本山や別院、布教など留守にすることが多かったので、どんなにか一人で心細くお寺を守っていたことだったでしょうか。
いや、「しんらんさま」や「礼讃歌」をよく口ずさんでいたように、また実家である西念寺の実母が「あんたは遠い所へ嫁ぐので、いつもみておるからな」と言ってくれた(生前談)ことなどが支えとなり、仏さまや親鸞さま、お母さんといつも一緒との思いで、日々を励んでいたのかも知れません。
平成になって私がお寺に戻り、やがて今の坊守が嫁いで来て「やっとお寺を空けられる、安心して旅行にも行けるわ」と、嫁いでからは実家に帰ることも数えるほどのお寺の日常から、無量寿会や町仏教会などで、聖人ご旧跡めぐり、妙好人を訪ねるなど、父と出かける楽しみが出来ました。
また、「やっとゆっくりお話も聞ける」と、法要でのご聴聞も楽しんでいました。六人の孫に恵まれ、最期までお念仏の中にあったことでしょう。![]()
皆さま今までお世話になり、ありがとうございました。