ああたのもしい 弥陀のこえ(其の2)

(10月1日・其の1より続)

 如来の声が、私に届き、私いっぱいに満ち 満ちて、私の口からこぼれ出てくださっているのが、「南無阿弥陀仏」のお念仏でありました。

 姿かたちは見えなくても、如来の声によって、あらゆる煩悩の壁(障り)を超えて、この私を目当てに届き、その存在を知らされます。
 その声によって、まよいを超えたさとりの浄土を知らされ、お浄土へと向かう者へと育てられていくのです。

 どこへ向いて歩んでいけばいいかわからない、まよいの私が、人生の目的地をお浄土と示され、仏となるいのちを歩ませていただきます。

 誰にも代わってもらうことのできないこのいのち、ただ一人でしか生きていくことのできないこの人生に、声の如来が、「ひとりじゃない」「そばにいるよ」と語りかけてくださいます。

 その声は闇を破る灯であり、私のいのちを育むぬくもりとなります。
 秋の夜長いっぱいに虫たちの声が響き渡るように、煩悩の長夜に阿弥陀如来の声が私のいのちいっぱいに響き渡っています。

 まよいの闇夜に生きる私に、「かならず救う」という願いそのものが、声の形、聴こえる形となったものが、南無阿弥陀仏でありました。