鴬のご催促、ホーキケヨ(法聞けよ)(其の2)
(4月1日・其の1より続)
移り変わりの人生の、山あり谷ありの人生の意味と、いのち終えていくことの意味を仏法の中に聞かせていただくのです。
思えば、私たちは言葉の世界に生きています。生まれたこの方、様々な人の声や言葉を聞き、様々な人に言葉や声を届け生活しています。言葉を届けるとは心を届けることでしょう。
今月の言葉はお東の近田昭夫さんの『仏さまはどこにおられますか?』の一節です。
その中で近田さんは、人間の言葉が間に合わなくなった「いのち」の現場にこそ、はたらいてくださるのが阿弥陀如来の言葉である、と著されています。
なるほど、言いようのない悲しさ、言葉に表されないほどのうれしさ。そして言葉を超えた生死の不思議さ。そんないのちの現場に、立ち現れてくださる阿弥陀如来の「南無阿弥陀仏(必ず救う我にまかせよ、浄土に生まれさせ、仏にならせる)」という仏様の言葉でありました。
わたしの悲しみの底の底の現場にご一緒くださり、わたしの喜びを知り抜いてくださる。
そして、生まれることは、人としてしか出会えないものに、出遇うために生まれるのであり、いのち終えていくとは、必ず浄土の仏とならせていただくことであったと聞かせていただきます。
春、ホーキケヨの鴬の鳴き声は、この阿弥陀如来の願いを聞き、如来の願いをよりどころに生きよ、とのご催促でありました。