ツノは心の姿

「出た出たツノが 尖った尖った ピンピンの 私の心のツノが」
 いつも穏やかな顔をしている?おしとやかな私が?ふとしたことでツノが出る出る。

「これもお願いします。」・・・おいおい、もっと早く言えよ!
 前の車何をゆっくり走っとる、信号青になりましたよ、スマホでも見ておるのか、フラフラ走行して・・・。

 人から頼まれるタイミング、車を運転していても相手のマナーに対して、ムカッとくること、愚痴が出ることがある。その時の私はどんな顔しているのだろう。
 自分では見えないが尖ったツノがニョキニョキと出ているのだろう。

 今月の法語「手を合わせ仏さまを拝むとき わたしのツノを知らされる」の波北 彰真氏は、昭和48年から30年間に亘り、毎月「中学生はがき通信」を送っておられたそうです。その中の言葉に

 「ツノは心の姿 むさぼり・腹立ち・おろかさ 他人のツノは よく見えるが 自分のツノには 気づかない 手を合わせ 仏さまを拝むとき 私のツノを知らされる」

(「人生のほほえみ―中学生はがき通信」)

 中学生の頃は友達や先生、家に帰れば親からもいろいろ言葉がかけられる。刺激が多く腹ばかり立てていたあの頃の自分、いや今もこのツノは衰えることなく出てくる。

 自分をしっかり見つめること、自分の姿は仏さまから知らせてもらうことなのだと、自分を知らされたときになんまんだぶ、なんまんだぶお恥ずかしい、申し訳ないことだと頭が下がります。

 そして、私そのままを引き受けてくださっている如来のお慈悲に、又、お念仏が出てくださいます。