負われている私

 赤とんぼが舞う季節になり、何か哀愁を感じます。
ふと「夕焼け小焼けの赤とんぼ おわれていたのはいつの日か・・・」

(作詞:三木露風、作曲:山田耕筰)

この歌が口に出ました。

 そういえば、秋彼岸の頃だったでしょうか。昔、西方寺坂から見たあの風景、真っ赤な夕日が山に沈んでいく。
 田んぼの稲穂の黄金色と彼岸花の赤い大地の美しいコントラスト、今思うと西方浄土の顕現の様であるのか。確か母におぶさっていたよう気がするが、それも夢か幻か。

 そんな背負われたご経験はありますか。皆さんは幼き頃、負われながらどんな風景を見たのでしょう。負ぶさったままぬくもりを感じられたことだったでしょうか。

 岐阜県のあるお寺の前住さんがご往生される前に
「お浄土へ参らしてもらうから何の心配もない、親さま(阿弥陀さま)と一緒やから、お浄土は私の親も、兄妹も先に参らせてもろうたから、私も同じ所へ参らせてもらうだけやでなあ、何の心配もない、なまんだぶ、なまんだぶ」
と、お念仏され、家族に話されていたそうです。

 お念仏にであう人生、南无阿弥陀佛と称える人生は、今ここがお浄土に向かわせていただいている人生です。
 私たちは阿弥陀さまと共のいのちがあるのです。

 今、阿弥陀さまに負われながら、毎日どんな風景を見ているでしょうか、お念仏申しながらお慈悲のぬくもりを感じられておられるでしょうか。