如来が照らす道
「自分のことは何でも自分が一番よく知っている」と考えています。あなたはどうでしょうか。
大無量寿経には
「世間の人びとの心は皆同じである。道理がわからず愚かでありながら、自分は智慧があると思っているのであって、人がどこからこの世に生まれて来たか、死ねばどこへ行くかということを知らない。
また、思いやりに欠け、人の言うことにも耳を貸さない。
このように道にはずれたものでありながら、得られるはずもない幸福を望み、長生きしたいと思っている。しかし、やがては死ぬのである。
それを哀れに思って教え諭し、善い心を起こさせようとして、生死・善悪の因果が厳然としてあることを説き示すのであるが、これを信じようとしない。
どれ程懇切丁寧に語り聞かせても、それらの人には何の役にも立たず、心のとびらを固く閉ざして、少しも智慧の眼を開こうとしない。
そして、いよいよこの世の命が終わろうとするとき、心に悔いと恐れがかわるがわるわき起こるのである。
以前から善い行いをせずにいて、そのときになってどれほど後悔しても、もはや取り返しはつかない」
(『浄土三部経』(現代語版))
と示されています。
自分のことなのに中々自分を見ようとしない我が身に、大変厳しい言葉が示されています。いのちを賜り、二度とない生を生きる私に、如来は常に照らしてくださっている。
照らされるから影が映る、照らされているから周りが見える、照らされて、私の歩むべき道に気づかされます。
み教えに遇うことは、私に遇うことでもあります。